高配当株ポートフォリオ艦隊☆司令長官の奮戦記

配当再投資戦略で資産形成を目指すサラリーマン投資家の手記

【サラリーマン】名もなき雑用、上司への服従。いくら頑張っても価値あるスキルは身に着かない。

サラリーマンは日々凄まじい努力をしているが、「社畜」などと呼ばれて蔑まれている。


皆様もご経験のとおり、サラリーマンの仕事はとてつもなくハードである。上司から無理難題を命じられ、複雑怪奇な社内調整をこなし、超絶技巧のExcelを駆使して数字を集計し、寝る間も惜しんでプレゼン資料を作り上げ、朝から晩まで続く会議を戦い抜く。


スパルタの戦士もびっくりするほどの勇猛果敢な戦いぶりだ。


だが、そのサラリーマンが自らを「社畜」と名乗って自虐ネタに走ることを強いられるほど蔑まれているのはなぜか?


彼らがやっている仕事をみれば、「社畜」などと蔑まれる理由が分かるはずだ。


サラリーマンに与えられる仕事の多くは、細分化された作業である。


例えば、
・他の誰かが作成したエクセルの数字をアップデートする作業
・プロジェクトの全体から切り出されたひとかたまりの作業
・他のメンバーたちが作った資料のとりまとめをする作業


このような仕事の一つひとつが難しく、また、会社という巨大組織を動かすためには必要な仕事であることは言うまでもない。


だが、サラリーマンに与えられるこれらの仕事は、会社を動かすための立派な仕事が極限まで細分化された「名もなき雑用」なのである。そこには「自分の力で何かひとつの仕事を完成させる」という最高のやりがいを感じられる機会はほとんどない。


このような仕事をしていると、人間はいつの間にか誇りを失っていく。


マルクスも『共産党宣言』のなかで分業を批判して次のように指摘している。

プロレタリアの労働は、機械装置の拡張や分業によって、あらゆる独立的性格を、したがってまた、労働者にとってあらゆる魅力を失った。労働者は機械の単なる付属物となり、こういう付属物として、ただもっとも単純な、もっとも単調な、もっともたやすく習得できるこつを要求されるだけである。


さて、自分で仕事を完成させるという喜びを失ったサラリーマンが集まると、ヒエラルキーをめぐる争いが始まる。彼らはもはや自分の仕事はどうでもよく、いかに組織内で良いポジションを取れるかが唯一の関心事になる。


そのような職場では、複雑きわまる人間関係の網の目を縫うような繊細なコミュニケーションが要求される。また、近代の経済合理主義にはあるまじき、封建主義的な絶対服従という価値観に支配されている。


それだけではない。


仕事を複雑に細分化したせいで相互の連携がすごく難しくなる。自分が何をやっているのか、相手に何を求めているのか、他のメンバーに伝えるのは一苦労である。「名もなき雑用」をするもの同士の軋轢が常に生じるようになる。


サラリーマンは、このような困難な環境を克服しつつ、グローバル競争で勝てるような成果を上げることを求められているのである。


ここからが結論だ。


このような環境では常に何かしらのトラブルが発生する。


・若造の態度が失礼だったから、お偉いさんが機嫌を損ねて動かない。
・他の部署に協力を依頼したけど、意図が伝わらなくてスルーされた。
・仕事が難し過ぎるため、みんな逃げ腰なり、何も進まなくなった。
・社内の監査で些細な点を大きく取り上げられ、対応に困っている。


サラリーマンはこういった様々なトラブルを克服するために多大なエネルギーを費やしている。悪いことではない。このようなトラブルを乗り越えて仕事を前進させることこそ、組織運営で最も大事なことであるといえるからだ。


だが、個人が置かれた立場としては、毎日がトラブルまみれ、創造的なことに意識を集中させる時間などほとんど持つことはできない悲惨な状況だろう。


これはちょうど、貧乏で揉め事だらけの家庭では、子供が勉強できず良い大学に行けないのと似ている。


毎日のように起きるトラブルや揉め事を処理するのは並みの労力ではないが、それを一つひとつ解決しても自分に付加価値が付くわけではない。


これが、サラリーマンが頑張ってもいまいち報われない理由なのではないかと思う。