高配当株ポートフォリオ艦隊☆司令長官の奮戦記

配当再投資戦略で資産形成を目指すサラリーマン投資家の手記

リーマンショックの頃

 わが艦隊は、豊かな老後へと針路を取り、今日も株式市場の荒波の中を航行中である。


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 世界を震撼させたリーマン・ショックから10年という節目を迎えた。今になって過去の株価チャートを振り返った者には、もれなく、あの時期に優良企業の株式を大量に買っておくべきであった、という後知恵が授けられる。


 だが、学びを与えてくれる過去はチャートだけではない。自分自身の当時の記憶を掘り起こし、あの出来事が起きた時期、何を考えどう行動していたのかを振り返ることからも、有意義な学びがあるはずだ。


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 リーマン・ショックが起きた2008年秋、私は社会人1年目で、大手プロフェショナルファームで専門職員として、同世代の優秀な若者たちとの競争を強いられる環境で働いていた。私は受験エリートであったから、競争を勝ち抜いて、周囲よりも優秀であると認められることに何よりも価値を置いていたし、おそらくライバルたちも同じ価値観を持っていただろう。


 これまで同世代の競争を勝ち抜いてきた秀才たちも、同種の人間ばかりが集められた空間では、その希少性が失われ、何ら特別なものを持たないただの男や女に成り下がる。個々の知的能力には大差ないので、身体の造形の美しさ、体の大きさ、群れに上手に入っていく力、相手を威圧する力、といった原始的なものが人間の価値を図る物差しとなる。昼食の時間には、〇〇さんが▲▲君のことを悪く言っていた、××君は皆から下に見られているが実はプライドが高い、といった噂話で盛り上がる。仕事の時間には、□□さんが言っているのだからこれが正しい、といった権威主義が幅を利かせる。


 私もそのような環境の中で、周囲の人間との競争に一喜一憂する日々を送っていた。先輩から言われた言葉に舞い上がったりショックを受けたり、エースとして認知された先輩がいるポジションに自分も立ちたいと思ったり、ライバルたちが失敗した噂を聞いて胸が躍ったりしていた。仕事には大変な努力をしていたが、精神的にはきわめて低い次元に堕ちていたと思う。


 そのような中、私はリーマン・ショックという歴史的出来事に遭遇することとなった。私は見栄を張るために知識を得ようと、日経新聞を読んで日々の出来事を追いかけ、日経平均株価が暴落する様子を見守るようになった。しかし何が本質なのかを全く掴めていなかったので、すぐにやめてしまった。昼食の時間には、「いま株を買ったら儲けられるんじゃないか」と言う者に対して、「やめとけ、どこまで下がるか分からないぞ」という「賢明な」アドバイスがなされるのを聞いて、その通りだと思った。周囲の者たちがFXというギャンブルで月給と同じくらい勝った、負けたという刺激的な話を聞いて、自分もやってみたいと思って、本を買って最初の数ページだけ読んで、結局何もしなかった。飲み会の席では、何も分かっちゃいないのに会社の仕事のやり方を批判して、これまた何も分かっていない同期から否定されて、気分を悪くしたりしていた。


 あの頃の若かった私は、世界の仕組みなど何も知ろうとしなかった。自分の半径5メートルにいる人々とだけ競い合いながらクルクル回っている、薄っぺらい学園青春コメディのような世界観を生きていた。若い肉体から生じる無尽蔵なエネルギーは、周囲の人々との関わりの中ですべて使い尽くされていた。もしも、今の私があの頃の自分に対して、優良企業の株式を買うよう説得したとしても、何らの関心も示さなかっただろう。あの頃の私には、ジェレミー・シーゲル著『株式投資の未来』もバフェット太郎著『バカでも稼げる高配当米国株投資』も、その価値は全く理解できなかったであろう。


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 その後、私は10年にわたり無知の闇をさまよい続けて、最近になってようやく長期投資家としてのスタイルを確立することができた。思うに、株式投資で堅実に資産形成するという概念は日常感覚とはかけ離れたものであるから、人々がそれに気が付くのは容易なことではないのである。


 我々のような投資ブロガーの使命は、一人でも多くの人々の目を醒まさせることなのかもしれない。